「ありあまる才能に接しながら、私は成長していく」と語る時、常に、彼女の自はきらきらと輝いていたというんだよ。「人聞には、誰しも、もって生まれた感受性というものがあるけれども、それは、他の才能を得ることによって、より豊かな自分を創造していくのだ」と、彼女はいうんだよ。自己犠牲を払わずに生きること大変いい言葉だと、おれは感心したもんだよ。これこそ積極的な謙鹿さだと思うんだなあ。ただ、やみくもに、積極さだけのある女性は世の中にはいるもんだが、この謙虚さをもっている女性は、実に少ないものなあ。本質的に可愛い女性というのは、このシャネルのような考え方を指すんじゃないかと思うよ。たとえば、亭主の尻を引っぽたく女房とか、恋人の生き方に文句をいう女性とかは一杯いるけれども、自分に、常に謙虚さをもっている女性はどれくらいいるのだろうかとおれは思うんだよ。そして、恋活 アプリ おすすめ を使ったジャネルは、香水とオ トタチ ルの始祖的存在になるんだが、ジャネルのつくった呑水は、さりげなく拘 5といったような記号で商品化されるんだよ。とになる。これは、彼女の謙虚さだと思うんだ。実にさりげないよなあ。このさりげなさが、また全世界の女性に愛されるこ香水というのは、気候、体温でも微妙な変化を遂げるものだから、シャネルは、自分の肌をベ スにして、この香りをつくり出したわけだよ。ここにもまた、おれは、彼女の積極的な生き方と謙虚さをみるのだなあ。そう思わないか、お嬢さん。彼女のやることは、みんな、向性に対しての愛しさにつな.かっていくんだなあ。こういう女性の生き方というのは、実に、きわやかな風のように思えるよ。自分だけのものを守るだけの人生が、なんと狭いものかと思わざるを得ないんだなあ。人聞から、ェゴイスチ クなものが、意識して払い落された場合、人聞は、常に、自由な羽樽はばたきをもつものだと思うんだよ。おれは、偉そうにいっているけれども、これは、とても、とても、難しいものだと思うなあ。誰にでも出来るものとは思われない。しかしねえ、誰にでも出来るものとは思われないことに、あえて挑んでいくのが、人聞の、ほんとうの積極性だとおれは思うんだト品。「みんなああなんだから、あたしも、これくらいでいいんじゃないの」といういい方、考え方が、一番いけないと思うんだなあ。そこには、怠慢の二字しかないように思うんだよ。「みんなああなんだから・・・・・・」と、自分勝手に他人を解釈してはいけないと思うんだよ。

他人を勝手に断定する権利なんかは、誰にも与えられていないんだからねえ。シャネルの八十年あまりの生涯は、彼女の自分を犠牲にしないで築き上げた偉大さにあると思うんだなあ。よく、自分を犠牲にして、他人のためになるとかいう表現があるけれども、これはどうも哀れみを乞うようないやな表現だとおれは思うんだなあ。それよりも、シャネルのように、自己犠牲を払わずに、そして他の人々に生活の歓びとか、オシャレの喜びをもたらす生き方が、女性のこれからの生き方じゃないかとおれは思ったものだよ。愛は、消極的で謙虚だったら、イメージは暗くなっていくものだけれども、彼女のように、積極的で謙虚であったなら、愛は自分の基礎を築くだけでなく、新しい分野を開拓して、とどまるところなく発展していくものだと考えたもんだよ。お嬢さん、シャネルになれよ。摺れるといおうや宮繋記けの偽の恋に酔っ払ってお嬢さん、おれは、約一ヵ月間、ギリシキからスベイ γをまわって帰って来たところなんだが、外国にいる日本女性の典型的なタイプに会って来たよ。二十五歳の さんはいうんだ。「どうして日本を離れて、外国で生活しようと患ったかというと、日本にいれば、女性の生き方のパターンが公式どおりなような気がしたのよ。学校を卒業して、あるいは在学中に恋をして、二年間ばかり付合って、結婚して、子供をつくって、住宅資金を考えながら、夫の給料の中から貯金をせっせとして、気がつけば、もう中年の前半を終わってしまっているわけでしょう。こういう生き方に反発を覚えたわけなの」とれが、 さんの十九歳の時に感じた日本女のツマラナイ生き方だったわけで、あたしは、こんな生き方はいやだというわけで、ヨロ パヘ飛び出したわけなんだなあ。たしかに、 さんと同じような考え方の女性も多いだろう。お嬢さんもその一人かもわからない。まあ、昔流にいうなら、糠ミソの臭いのする女房になり呆てるのはいやだってことだろう。ま、おれにも、この考えがわからんではないが、 さんのように、中学一年あたりから、クラスメートが異常だと思うほど外国語に興味をもち、その上で、限られた日本女性の生活のパタ γを拒否しての渡米なり渡欧はわかるんだよ。 さんは、十九歳でロンドンの学生生活一年で一旦帰国し、二十一歳でスペインに行き、ここでも学生生活をメイドの収入でおぎなって、また一度帰国して、再度、スベイ γのバレやっている人なんだよ。

聞いていれば、実に、着実に自分の生活を守りながら、女の恋愛、結婚、生活を考えているんだなあ。γシヤ地方に住みついて、自分の目的の語学をこういった正しい規則で自分の生活の尺度を守っている さんが、五年自に、はじめて気付いたことは、次のようなことなんだ。これは、大変、貴重なものだと思うよ。それは、一、日本も外国も、まったく同じこと。だというのと、二、駄目な男は駄目な男。というこ点だというんだなあ。はじめのスベイ γ留学の一年間、 さんはスペインの愛する男と女は、なんて素晴らしいのだろうと思ったそうだよ。どうしてかっていうとね、恋をすると、一日中、じっと抱き合ったり、肩を抱いて、他人のことなんぞは一切気にかけないで散歩しているというのだな。そして、彼は、毎日、彼女の美点をひとつずつ発見していく会話を曜いているというんだ。「昨日のヘアスタイルは、君の優雅さを倍増させたが、今日のヘアスタイルは、君の可憐さを倍にしているよ」といった具合なんだよ。「こういう男性が日本にいますか」さんはいったものさ。ιおれは、「まずいないね。そんな歯の浮くような言葉をいう奴は:::。ところで、それを聞く女性の心情はどういうことなんだね、一体。嬉しいのかね」というと、 さんは徴笑んで、「女って単純だと笑われそうだけど、そういわれると、とても嬉しいんですよ。ほんとに:::。なにか、うっとりしてしまうの」というじゃないか。とくに、日本の女性は、外国語で、こういう内容のことを暁かれると、もう、これこそが愛なんだわ、恋なんだわと自分を悦惚の境地に誘い入れてしまって、まるで映画(洋画)のヒロイ γになったような気分になってしまうそうなんだな。おれは、この気持ちがわからぬではなかったが、なぜか哀しかったなあ。憐れといってもいい気持ちになったもんだ。おれが、そんなことを考えていると、 さんが同じようなことをいったんだト品。「そんなことをいわれて、嬉しがっている女性は、ほんとは憐れなんですよ」。おれは、びっくりして、 さんの顔を見たもんだよ。すると、 さんは、なぜか悲しそうな表情になって、「かつて、あたしも、そんな時期が一時あったんです。言葉だけの偽の恋に酔っ払うといったところがあったんです」というじゃないか。「でも、ある日、こんな言葉は、お互いに、マイナスにこそなれ、プラスにはならないと思いました」「マイナス:::というと:::」「怠け者だから、そんな言葉を使うんです。

あるいは、アルバイトの口がないから、そんな言葉を使って、四六時中デ トをしているんです」というんだった。そして、日本の女性は、古い時代には、もっと素晴らしい相聞歌をもっていたのにと気付いたというのだった。ほ「そして、江戸時代に生れた惚れるという言葉をあらためて思い出したんです」という。「ホレテ:::」と迫りたいもの さんのような年齢の女性が「惚れる」という言葉を再認識したのに、おれは樗いたもんだよ。今のお嬢さんの年齢で、惚れたとか、惚れられたという言葉の表現は、ほとんど用いないだろう。それをさんは、再認識したというんだよ。「あんなに素晴らしくって、いい言葉はありませんわ。文字から考えても素晴らしいわ」というんだ。「文字から・・・・・・」たちま「ええ、惚れるって字は、 (りっしんべん)に忽ちというツクリでしょう。あれがいいんです。りっしんべんというのは、原型は心でしょう。二人が逢えば、たちまち心がときめく、たちまち燃えあがるって意味が含まれているんです。とても、味のある字だと思いましたわ」と、彼女はいうのだった。「愛するという字が日本に入ってきたのは、明治時代の、それも後期じゃないかしら。そりゃ、もっと古くからあったと思うけれども、一般に文学の上に現われたり、人の口にのぼるようになったのは、ごく新しいでしょう」というのだ。たしかに、恋はあったが、愛というのが一般化されたのは、西欧文化の影響だと思われるのだった。「なんでも外国から入って来たものが素晴らしいと思う傾向が日本の男性にも女性にもあるんじゃないかしら。これは、大変な間違いだと思うのよ。あたしは、だから、惚れるという表現をこれからもずっとしようと思うの。でも、あたしが口にすると、日本から来た男性も女性も、なんて古くさいことをいう女だろうって顔をするのよ」と さんはいったものだ。さんは、ロンド γ生活、パリ生活、そしてスペイン生活の中で、日本語の、愛するに適して、さらに、それ以上の味のある言葉を探し出したのだった。おれは、とてもいいことだと思った。惚れるという言葉を死語にしてしまうことはなにもないと思った。「あなたを愛している」というよりも、「あなたにホの字なの」といった方が、「愛して・・::」と迫るよりも、「ホレテ:::」より日本人らしいと思うのだ。幡随陪えといった方が、徴笑ましいじゃないかと思ったもんだよ。お嬢さん、この さんの言葉をどうとるだろうか。

頭の先から靴の先までオ ル舶来のフア ションはいいけれども、その中身まで酋欧化されて粋がることはなにもないと思うんだよ、それだったら、情ないじゃないか。恋愛は、心の問題だろ。じゃ、させたっていいじゃないか。日本人のつくった日本的表現を、堂々と復活二百トンと一カラット失恋というのは失愛ではないょお嬢さん、今日はひとつ、失恋について一緒に考えてみようじゃないか。とにかく、失恋の味というのは、男にとっても、女にとっても、ほろ苦いものなんだなあ。が、おれは、今頃になって、失恋というのは、失愛ではないということが、ようやくわかってきたんだなあ。しかし、十代の後半とか二十代の前半には、失恋、恋がひとつ消えることを、愛をひとつ失うように思ってしまうんだなあ。永遠の愛が、胸の中から、すっぽりと消えてしまったなどと思いがちなんだよ。なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、この一年に数人の若い女性から失恋の話を聞いたからなんだよ。おれのような年齢には、お嬢さんぐらいの世代は、失恋の痛手を話せるようなんだなあ。話しても安心、聞いてもらって今後の生き方の相談にものってもらえると思うらしいな。「白髪のせいもあるのよ」といった女性もいたな。おれとしては、実に悲しいことなんだよ。まだまだ、おれは恋愛の現役だと思っているのに、いつの間にか、恋愛の退役にされてしまっているんだから、これは悲しいというしかないんだよ。ま、こういう話はいいとしてだね、失恋の話をした若い女性は、テレピタレントあり、女子大生あり、 ありというところだな。年齢は平均二十一歳ぐらいで、相手の男性は、二十五歳から三十歳という幅なんだ。 の場合は、会社の上司であり、女子大生の場合は高校の先輩といったところだった。そうそう、この他に、バ 、グラプのホステスが二人いたけれど、失恋物語を聞いているといつもながらに被害者意識が多いんだなあ。口惜しい!と思う心情が、彼女たちの胸のわだかまりになっていて自分は正しかった、相手が一方的に悪いのだというのだ。彼女たちが、共通していう言葉に、おれは気付いたんだよ、お嬢さん。それはね、「あたしの気持ちもわからないで:::」ということなんだよ。おれは、この言葉を聞くと、一寸勝手ないい草のような気がするんだよ。第一に、気持ちがお互いにわからないから、恋がはじまるんじゃないのかなあ。お互いに気持ちが、ぴったり一致している男女なんて、この世の中には滅多にいないです。

もし、いたとしたら、これこそ至上の愛、人聞を透かに超越した神の愛といえるんじゃないかと思うんだよ。ま、世界中、どのカってみても、こういった愛というのは、見つからないと思うんだがねえ。それを、失恋した彼女たちは、一様にいうんだなあ。この言葉を皮切りにして、彼女たちの愚痴の火蓋は切って落されるわけなんだよ。プルに当お嬢さん、恋という行為は、お互いに未知なものをもっているから、それを探り合っていく作業じゃないかと思うんだよ。おれは以前、南アフリカで、ダイヤモンドの採掘作業を見たことがあったけれども、岩肌に裸の男たちが削岩機片手に、まるで蟻のようにとりついていてね、ダダダダ とやっているわけなんだな。おれは、これだけ沢山の労働者が群がっているので、なるほど、これだけ掘れぽ、大きなダイヤの原石などがごろごろと出てくると思ったんだが、そうじゃないんだなあ。十トンのトラックが二十台並んでいるのを指した現場監督がさ、大真面目な面持ちでいったもんだったよ。「この中に一カラタトあればいいというものなんだ」二百トシの岩石の中に一カラ トなんだって。それも、あればいい方だというわけなんだ。というのは、一カラ トもないという可能性の方が強いわけなんだね。おれは、失恋彼女たちの怒りとも愚痴ともとれる言葉の羅列を耳にしながら、ふと、このダイヤの採掘作業のことを思い出したものだったよ。恋にもシラケの根が生えて:::愛はダイヤなんだ。恋は二百ト γの岩を砕く作業なんだと思ったもんだ。二百トンの岩を粉砕する作業は、考えてみても大変なもんじゃないか。うんざりするもんじゃないか。相当根気のいる仕事じゃないか。それでいて、必ず一カラ トのダイヤがあるとは限らないんだからね。ところが、どうも、失恋彼女たちの話を聞いていると、この根気仕事の手を披いているとしか思えないんだよ。それでいて、自分を光り輝くダイヤモ ドなりと自負しているところが見えるんだなあ。自分を過大に、そう、超過大に評価しているとしか思えないんだ予品。恋というものは、そう簡単に愛を掘り出さないものなんだよ。いや、もし、掘り出せたなら、これほど幸福なことはないんだよ、お嬢さん。それを一年か二年で掘り出そうとするところに問題があるんじゃないかなあ。わかってほしいというのは、一寸、いや、大分、自我の部分が強いんじゃないかということさ。「彼は、あたしの気持ちがわかってくれないのよ」という言葉は、反対に考えれば、彼自身の言い分でもあると思うんだなあ。