恋にもシラケの根が生えて

もし、いたとしたら、これこそ至上の愛、人聞を透かに超越した神の愛といえるんじゃないかと思うんだよ。ま、世界中、どのカってみても、こういった愛というのは、見つからないと思うんだがねえ。それを、失恋した彼女たちは、一様にいうんだなあ。この言葉を皮切りにして、彼女たちの愚痴の火蓋は切って落されるわけなんだよ。プルに当お嬢さん、恋という行為は、お互いに未知なものをもっているから、それを探り合っていく作業じゃないかと思うんだよ。おれは以前、南アフリカで、ダイヤモンドの採掘作業を見たことがあったけれども、岩肌に裸の男たちが削岩機片手に、まるで蟻のようにとりついていてね、ダダダダ とやっているわけなんだな。おれは、これだけ沢山の労働者が群がっているので、なるほど、これだけ掘れぽ、大きなダイヤの原石などがごろごろと出てくると思ったんだが、そうじゃないんだなあ。十トンのトラックが二十台並んでいるのを指した現場監督がさ、大真面目な面持ちでいったもんだったよ。「この中に一カラタトあればいいというものなんだ」二百トシの岩石の中に一カラ トなんだって。それも、あればいい方だというわけなんだ。というのは、一カラ トもないという可能性の方が強いわけなんだね。おれは、失恋彼女たちの怒りとも愚痴ともとれる言葉の羅列を耳にしながら、ふと、このダイヤの採掘作業のことを思い出したものだったよ。恋にもシラケの根が生えて:::愛はダイヤなんだ。恋は二百ト γの岩を砕く作業なんだと思ったもんだ。二百トンの岩を粉砕する作業は、考えてみても大変なもんじゃないか。うんざりするもんじゃないか。相当根気のいる仕事じゃないか。それでいて、必ず一カラ トのダイヤがあるとは限らないんだからね。ところが、どうも、失恋彼女たちの話を聞いていると、この根気仕事の手を披いているとしか思えないんだよ。それでいて、自分を光り輝くダイヤモ ドなりと自負しているところが見えるんだなあ。自分を過大に、そう、超過大に評価しているとしか思えないんだ予品。恋というものは、そう簡単に愛を掘り出さないものなんだよ。いや、もし、掘り出せたなら、これほど幸福なことはないんだよ、お嬢さん。それを一年か二年で掘り出そうとするところに問題があるんじゃないかなあ。わかってほしいというのは、一寸、いや、大分、自我の部分が強いんじゃないかということさ。「彼は、あたしの気持ちがわかってくれないのよ」という言葉は、反対に考えれば、彼自身の言い分でもあると思うんだなあ。